この記事は2022年7月25日に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。
坂出市常盤町「鹽竈神社(しおがまじんじゃ)」坂出塩田の父として慕われる久米通賢の歴史に触れる【動画あり】
坂出塩田の父として慕われる久米通賢を祀る鹽竈神社(しおがまじんじゃ)をご紹介します。境内には久米通賢と松平頼恕を祀る坂出神社があり,通賢や津島寿一の銅像もあります。
地図だとこちら↓↓↓
久米通賢
久米通賢とは 【1780(安永9)年~1841(天保12)年】
ここ坂出は,弥生・古墳時代の製塩土器が出土するなど,古くから塩に関係した地域でした。
そして江戸時代,「塩の町」として坂出を築きあげた人物「久米栄左衛門」が現れます。香川の地で船かじ作り職人の子として誕生,自らを「通賢」と名乗り,経世家, 砲術家として名を馳せ,蘭学,天文,測量,軍器製造などの実学にも優れた人物でした。
1824年(文政7)年,高松藩の財政は傾き人々は貧困にあえいでいるなか,通賢は藩の財政を立て直し,人々を救おうと遠浅の坂出沖に塩田を開墾することを高松藩主松平頼恕に申し出て、1826年(文政9)年坂出墾田の普請奉行となります。
坂出墾田には,藩からの約2万両の工費だけでは足らず,私財をも投じて,延べ約194万人を動員し,3年後の1829(文政12)年,東大浜・西大浜を含む約132haの塩田の開墾に成功しました。
引用:坂出市観光協会サイトより
久米通賢と松平頼恕を祀る坂出神社
聖通寺山中腹にある鹽竈神社は,1828(文政11)年,坂出塩田の安全・繁栄を祈願して,宮城県塩竈市の鹽竈神社から,中湛甫の地に勧請した神社です。
1837(天保8)年,新たに社殿を明神町(現:中央町)に建立しましたが,旧国道11号線(現:県道33号線)の拡幅に伴い,1964(昭和39)年10月坂出塩田を一望する聖通寺山中腹に移築されました。
引用:坂出市観光協会サイトより
久米通賢銅像
久米通賢は、坂出の多くの人々を救い,その功績は大いに讃えられこの地に名を残しました。
鹽竈神社
鹽竈神社境内
鹽竈神社石碑
1964年10月に旧国道11号線の拡幅に伴い坂出塩田を一望する聖通寺山中腹に移築されるまでの歴史が刻まれています。
場所
坂出駅から車で約20分のところにある聖通寺山中腹にあります。なお、駐車場はありませんのでご注意下さい。
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坂出市内が一望できる聖通寺山、坂出の歴史が詰まった鹽竈神社にお越し頂き、坂出の歴史に触れてみてはいかがでしょうか?