この記事は2019年9月16日に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。
川西町交差点の改良工事は今どうなってるの?→今年度中に用地買収が終了、完成は2021年度の予定
市内有数の渋滞ポイント・川西町交差点の改良工事が平成24年度から始まっていますが、ここしばらく工事がストップしているように見えます。私もここをよく通りますが、渋滞に巻き込まれるたびに「いつ工事が終わるんだろう」と疑問に思っていました。疑問に思えば調べるのが仕事なので、調べてみました。
場所
東西を走る県道18号善通寺府中線(府中街道)と南北を走る県道46号長尾丸亀線が交差し、さらに市道(旧南海道)が西向きに接続する5差路です。
地図だとこちら。↓↓↓
交差点の南東角には道池があり、北東角には今年2月にオープンした「ローソン丸亀川西町北店」があります。
「ローソン丸亀川西町北店」オープン時の記事はこちら。↓
オープン初日の「ローソン丸亀川西町北店」に行ってきたよ。「まちかど厨房」のお店
川西町交差点が抱える問題点
県道18号線の交差点西側道路が狭いことにより、対向車が切れるのを待つ右折車により直進車の通行が阻害され、大渋滞を引き起こすことが最大の問題点となっています。
こちらが問題の場所。平日昼間の交通量が少ない時間ならこんな感じですが、朝の通勤ラッシュ時はだいぶ西の方まで渋滞の列が伸びます。なにしろ東から西へ向かう対向車が途切れませんからねえ。道幅が狭いので右折レーンを作れないことも問題でした。
交差点改良工事開始
そこで県は、4方向全てに右折レーンを設置する交差点改良工事を平成24年度に開始しました。もう結構前ですね。
最近になってようやく用地買収も先が見えてきたようで、周辺の店舗や家屋が取り壊され、次々と更地になっています。
交差点西側も含め、4方向とも右折レーン分くらいの用地は確保できているように見えます。
どんな設計になっているのかといろいろ調べていると、とても分かりやすい資料を見つけました。
上記の香川県渋滞対策協議会の資料を見ると、現交差点と新交差点の比較ができるようになっています。どうやら全体的に西に寄るみたいです。
この資料によると、今年度は用水路の付け替え工事や残りの用地買収が行われる模様。そして完成は2021年度の予定なのだそうです。2年先ですか・・・西側の右折レーンだけでも先に何とかできませんかね?
とは言え着実に前に進んではいるようですので、渋滞時は車窓から見える交差点の完成形を空想したりして、心を穏やかに保ちましょう!
消えていく交通遺跡
川西町交差点の改良工事の陰で、ひっそりと消えていこうとしている交通遺跡があります。琴平急行電鉄(琴急)の川西駅跡と、周辺の廃線跡です。
琴平急行電鉄線(ことひらきゅうこうでんてつせん)は、琴平急行電鉄(琴急)が、1930年(昭和5年)から1944年(昭和19年)にかけて運営していた鉄道路線である。なお、運営会社の琴平急行電鉄は路線休止後の1948年(昭和23年)に琴平参宮電鉄(琴参)に吸収合併された。
引用:Wikipedia
琴急は坂出琴平間を結ぶ鉄道で、坂出を出ると飯野山の西を通って丸亀平野の田園地帯を南北に突っ切る路線でした。どうしても高松まで接続している琴電や、丸亀・善通寺の市街地を通る琴参を相手にするには分が悪く、なんとか黒字化させた途端に戦争が激化してレールを供出させされるという間の悪さもあり、とても短命に終わりました。
戦後は路線が復活することもなく、会社も琴参に吸収合併されて消滅、廃線跡も田畑や宅地に姿を変えましたが、一部の駅や路線の跡は現代までひっそりと生き残っていたりします。その中の1つが、今の「ローソン丸亀川西町北店」の東側にあった川西駅の跡地でした。
これが現在の川西駅の跡地です。水路にコンクリートの橋が架かっていますが、この橋が島式プラットホームの残骸です。20年以上前に見に来た時は、ホームもほぼ原型を留めていましたが、10年前に見に来た時は西側(ローソン側)がだいぶ削れていました。そして近年の宅地開発などで、ほぼ真っ平らになりました。まあ、畑の真ん中にコンクリートの塊があったら不便ですしね。
かつて琴急が現役の頃は、この橋(プラットホーム)を挟むように、両側を線路が走っていました。画像でゴムホースがだらんと垂れている辺りは、上を線路が走っていた橋台跡です。そうと言われなきゃただの水路です。
川西駅は地図だとこのあたり。↓↓↓
「ローソン丸亀川西町北店」のピンが南に寄り過ぎているので、ちょっと紛らわしいですね。実際のローソンの店舗は赤ピンの真横くらいの位置にあります。
琴急の線路は、川西駅を出ると今のローソンの前辺りをかすめるように南西へ走り、川西町交差点を斜めに突っ切って郡家方面へ伸びていました。画像の赤矢印のイメージです。
上で使った画像が分かりやすいので再登場していただきます。工事前の空撮写真では、川西交差点の北東部と南西部に斜めに家屋が連なっているのが見えますが、ここがまさに琴急の廃線跡です。分かりやすくオレンジ色で線を引いてみました。ですが現在ここは更地化していますので、見に行っても何の形跡も残っていません。
わずかに琴急の形跡が残っているのは、県道46号線をちょっと南へ入ったレストラン「BABA」さんの裏にある古子川の橋台跡くらいです。こんなところを電車が走っていたんですねえ。
ここはもうしばらく残ってそうな雰囲気ですね。(とか言ってたら無くなるのが世の常ですので、興味がある人はお早目にどうぞ。)
地図だとこのあたりです。↓↓↓
位置的には「BABA」さんの裏ですが「BABA」さんからは行けませんので、見に行かれる場合は府中街道側から遠回りして川の土手を歩いて行ってください。
ちなみに、まるつーメンバーによる「BABA」さんの食レポはこちら。↓
実は古代からの幹線道路
話を川西町交差点に戻しますが、実はここは旧南海道で、古代から幹線道路として使われていた道なのです。
南海道(なんかいどう、みなみのみち)は、五畿七道の一つ。紀伊半島、淡路島、四国ならびにこれらの周辺諸島の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から中世)を指す。
引用:Wikipedia
長くなったので詳しくは書きませんが、1300年程前から役人が馬を乗り継いで公文書を運んだりしていた道が南海道で、それが道池の北側を東西に走る府中街道(と、その周辺の道)です。
川西町交差点の西側は、春日神社の方へ入る市道が旧南海道で、現在の府中街道は1970年代初頭に整備された道です。
つまり川西町交差点は、古代から現代まで、人が何世紀にも渡って馬や電車や自動車を使って通ってきた交通の要衝だったのです。そんな重要な道なのですから、ちゃんと整備して未来へ遺したいですね。ただ、未来人はもう車には乗ってないかも知れませんが(笑)