この記事は2023年5月24日に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。
坂出市府中町「菊塚、鼓岡神社、杜鵑塚、擬古堂、内裏泉」崇徳上皇ゆかりの地を巡る【動画あり】
今回のふるさと探訪歩き人では、坂出市府中町周辺の崇徳上皇ゆかりの地を巡ります。
周辺の地図はこちら↓↓↓
崇徳上皇の歴史に触れるスポット
菊塚
最初にご紹介するのは坂出市府中町にある菊塚です。
崇徳上皇(すとくじょうこう)が雲井御所で過ごされていたときに、綾の局(あやのつぼね)との間に皇子(みこ)と皇女(ひめみこ)が誕生しましたが、上皇はこの皇子を顕末(あきすえ)と名付けられ、菊の紋をつけて綾の局の父、綾高遠(あやのたかとお)に賜り、綾家の跡継ぎにされたと伝えられています。
この皇子の墓は、府中町鼓岡(つづみがおか)の北にあり、菊塚(きくづか)の名称で呼ばれています。
鼓岡神社
菊塚から3分ほど歩くと見えてくるのが鼓岡神社(つづみがおかじんじゃ)です。
鼓岡神社は崇徳上皇が御所とされた木の丸殿(このまるでん)があった場所であり、崩御の後、小さな祠を建てて祀られたものです。
鼓岡という名前は、丘の頂上辺りで地面を叩くとコツコツという鼓のような音がしたからだといわれています。
地元の人にも馴染みの深い鴨川の地名の由来は、雲井御所にいる三年の間、上皇は京都が恋しくて仕方がありませんでした。そこで、前を流れる綾川を京都の川の名をとって鴨川と呼んだそうです。それが地名として今日まで残っているという説があります。
西山や東山という地名も崇徳上皇がつけたとされています。
杜鵑塚
続いてご紹介するのは、坂出市府中町にある杜鵑(ほととぎす)塚です。
雲井御所から鼓岡の木ノ丸殿に移られた崇徳上皇は、訪れる人もない寂しい日々を木ノ丸殿で過ごされました。
鼓岡神社の石段の右手には小さな五輪塔(ごりんとう)が2つほどあります。これは上皇が鼓岡で過ごされていたころ、ある日ホトトギスの声を聞かれて都を深く思い出され、『なけば聞く 聞けば都の恋しさに この里過ぎよ 山ほととぎす』 とお詠みになられたところ、これを聞いたホトトギスは、自らさえずるのをやめたという言い伝えによるものです。
その後も、鼓岡の周辺ではほととぎすが鳴かなくなったといわれ、昔はこの地をなかずの里と呼んだといわれています。
擬古堂
続いてご紹介するのは、坂出市府中町にある擬古堂(ぎこどう)です。
擬古堂は保元三年(1158年)ごろ、崇徳上皇は雲井御所から府中の鼓岡の木ノ丸殿に移られました。木ノ丸殿とは木の丸太で造った御所といった意味合いで、御所としては粗末な造りではなかったかと考えられています。
大正二年に崇徳上皇の750年祭に合わせて、鼓岡神社の石段を登った右手に記念建造物が建設されました。
かつての木ノ丸殿を偲ぶといったことから擬古堂と呼ばれ、屋根など古風な造りの外観から少しでも当時を思い浮かべることができるように造られています。
普段見慣れた風景の中にも様々な歴史があることに気づかされます。
内裏泉
最後に坂出市府中町にある内裏泉(だいりせん)をご紹介します。
近代の大干ばつにも枯れなかったという霊泉で、崇徳上皇が木ノ丸殿に住んでいた際、飲料用の井戸として使われたと伝えられています。
地元の人は、この水を汲めば目が見えなくなるといって大切にしていたそうです。
場所
今回ご紹介した鼓岡神社は城山東麓にあり、予讃線・讃岐府中駅の西北西約700mのところにあります。
擬古堂や菊塚も歩いて5、6分のところにあります。駐車場がない場所もあるので、お寄りの際はご注意ください。
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現在まで、多くの言い伝えが残っている崇徳上皇ゆかりの地を巡ってみませんか。
今回は坂出市府中町周辺をご紹介しました。
◇鼓岡神社
所在地:〒762-0024 香川県坂出市府中町乙5116
関連リンク:坂出市公式サイト
◇杜鵑塚
所在地:〒762-0024 香川県坂出市府中町5117
関連リンク:坂出市公式サイト
◇菊塚・擬古堂・内裏泉
所在地:〒762-0024 香川県坂出市府中町
関連リンク:坂出市公式サイト