今回は宇多津町、横町のおすすめスポットということで、宇夫階神社をご紹介します!
宇夫階神社
宇夫階神社 本殿
紀元前より宇多津町の津之郷に鎮座していましたが、807年に今の場所に遷座し、2007年に遷座1200年をむかえました。社殿は1973年に火災により焼失しましたが、1976年に伊勢神宮の外宮第一別宮である多賀宮御正殿を一棟そのまま拝領し、復元する形で建築されています。境内社として「塩竃神社」「金刀比羅宮」「石鎚神社」等の神々が祀られており、多くの建物が国の登録有形文化財に指定されています。
引用元:宇多津町観光協会公式サイトより
たまに通りすがるたびに、「大きい鳥居で風情あるなぁ。たぶん由緒正しい神社なんだろうなー」と思っていたのですが、まさかそんなに古くから・・・!と改めてびっくりしました。さらっと書いてありますけど、紀元前ですよ!? 古代ローマ帝国や中国の王朝が次々と生まれては滅び、世界地図が目まぐるしく彩りを変えている頃に、この神社(当時は神社ではなかったでしょうが)が宇多津にあったんですよ!自分の遠いご先祖様やそのご近所さんが「そろそろ雨を降らせてください」とか「こないだからめっちゃ腰痛いんで、早く良くなりますように」とか祈っていたんでしょうか・・・ロマンを感じますねぇ。
磐境(いわさか)と御前岩(ごぜんいわ)
神社境内には大きな岩が分布していて、特に本殿の後方に鎮座する巨石は見上げるほどの圧巻です。お社や神社の由来だけでこれだけ古い歴史があるのですから、およそ人の力でどうこうできなさそうなこの巨石は一体何千年前からこちらに鎮座しているのでしょう・・・と、その由緒の片鱗でもわからないかと調べてみました。
宇多津の古代を考えるために、まず古代の「御前信仰」(おみさきしんこう)についてみてみましょう。
御前とは「神の宿る入岬」という意味があります。御前信仰では岬が祭司の場となりますが、巨石をご神体にしていることが多く、そこは霊力のあるところとされていたようです。
瀬戸内海沿岸の岬ですが、その土壌は花崗岩という硬い地盤のところが多いようです。
宇多津にも御前信仰と考えられる古代祭司の遺跡があります。遺跡は瀬戸内海から約1km南の位置にあり、そこはかつて岬だったと考えられます。
現在、その場所に宇夫階(産砂)神社(うぶしなじんじゃ)があります。御前信仰、古代祭司のあった場所に、後世、神社が建てられた例と考えられます。引用元:宇多津町公式サイトより
と、いうことは遠い昔、この岩さま達はかつてここから海を臨んでいたんですね!実際に境内社の金毘羅宮に奉納されている絵馬からも、在りし日の港町としての様子が描かれています。
網浦展望青山真景図絵馬
この絵馬が描かれたのは江戸時代頃だそうですが、奈良時代にも宇多津から当時の朝廷へ絹を献上したという記録が残っていて、かなり古くから船が行き交う港町だったことが伝わっています。この絵だけだと少しわかりにくいかもしれませんが、絵馬の海岸線を現在の航空写真上に描くと、だいたい県道33号線以北から海になるようです。ほほう。確かに現在の宇夫階神社が海岸線ぎりぎりの場所ですね!
「KBN×まるごと中讃つーしん」コラボ動画
情報を網羅する人気サイト「まるごと・中讃つーしん (まるちゅー:旧 丸亀つーしん)」 と、坂出・宇多津のケーブルテレビ局「KBN」、そして坂出・宇多津のコミュニティFM局の「エフエム・サン」がコラボをして動画内でさらに詳しくご紹介しています!!
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今回ご紹介した宇夫階神社は近くに郷照寺や聖徳院等、いずれも古い歴史を持つお寺さんがあるので、神社仏閣巡りが好きな方は、ぜひ宇多津の歴史を紐解きながら歩いてみてくださいね。